磐余池を《見る》

「磐余の池に鳴く鴨を‥」の歌碑がある吉備池廃寺から南西に800メートル行くと、磐余池の候補地として発掘が行われた場所に着きます。東池尻・池之内遺跡です。約300メートルにわたり延びる高さ2〜3メートルの土手状の高まりで、10年前から発掘調査が行われ、人工的な堤であることが確認されました。
最初の写真の中央右にある住宅の列の左側から道路のあたりにかけて、6世紀後半に堤が築かれ、それより南側(写真の左側)に水が溜められたようです。池は地形に沿って広がっていましたが、12〜13世紀ごろには埋められて新たな耕作地となったようです。
赤い部分が人工的な堤とみられる部分、青く塗ったあたりが水がたまっていたと推定される領域です。相当巨大な池で、古代の池としては7世紀前半の狭山池(大阪狭山市)と構造が似ているとのことです。日没が迫る時刻、この池の堤に立った大津皇子が、鴨とともに見た風景はどんなだったのでしょう。池を囲んだであろう丘、その向こうに見える吉野、葛城、そして二上の山々。そのすべてを、「今日のみ見てや 雲隠りなむ」たいう絶望感。
遺跡の西側、みずし観音の近くに、「ももづたふ 磐余の池に‥」の歌碑が建てられています。揮毫は、大和のあちこちの万葉故地の写真を遺した入江泰吉さん。入江さんはいろんな場所から、いろんな季節と時刻の二上山を撮りました。とりわけ美しいのは、夕陽を迎え入れる二上山です。雌岳と雄岳の間に、1300年余りの間沈み続けてきた夕陽を《見る》ことで、大津皇子の最期の想いに届くでしょうか。

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