深野のだんだん田
弟である大津皇子の悲報に接した大伯皇女は、大和へ向かいます。二人行けど行き過ぎ難き山道を、彼女はどうやって越えていったのか。史料は全く残っていませんが、古道が手がかりを示しています。今も絶え絶えに残る、伊勢本街道を西へと向かっていきます。斎宮を起点に、国道166号を西へ20キロ、松阪市飯南町深野の村で寄り道をします。
深野は明治時代から牛を育ててきた松坂牛発祥の地であり、いまも集落には牛小屋が点在しています。400年前から続いた深野和紙の産地でもありました。そして棚田百選に選ばれた深野のだんだん田。普通の棚田とは違って、石垣で斜面地が区切られ、比較的ひとつひとつの区画が広くなっています。
説明板によると、300万以上の石が積み上げられて120段の石段を形作り、総延長は120キロメートルにも達するそうです。貧しい谷間の村がなんとかして水田を確保しようとしたというよりは、副収入をもとに、より豊かな収穫を得るために設備投資した感じを受けます。
伊勢本街道はここから松阪市と津市の境界である仁柿峠へ向かいます。国道368号も名が付いているものの、前から車が来たら離合もできないくねくね道が延々と続く、ドライバーにとってはしんどい山越えです。この峠を大津皇子も、そして大伯皇女も、それぞれの屈折した想いを胸に越えていったのでしょうか。
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