しんきろうロードと信濃の浜

早月川を訪ねた後は、バスで魚津駅まで出て、今度は富山地鉄に乗りました。あいの風とやま鉄道の魚津駅と接続しているのは新魚津駅で、その西隣りが電鉄魚津駅です。駅は高架。海までの道には商店街や簡易裁判所などがあって、昔のにぎわいをしのばせます。
裁判所の横には魚津城跡があります。かつては城跡がそのまま大町小学校になっていたのですが、統合で閉校となり、児童らの手形と校歌の碑が残されていました。左に見える「ときわの松」というのは、越後から攻めてきた上杉謙信が植えた松との伝承が残っていて、根元に謙信が詠んだと伝えられる「武士の よろいの袖を かたしきて 枕に近き はつかりの声」の歌碑が建っています。
海岸までは10分ほど。海沿いに「しんきろうロード」が走っていて、富山湾の夕日を見ながら歩くことができます。さすがに6時を過ぎると照りつける太陽とは言いませんが、涼しい風を感じるわけでもありません。そんな道中に建つのが、米騒動発祥の地のモニュメントです。
米騒動が起きたのは1918年。7月23日に魚津で女性たちが汽船へのコメの積み出し阻止に立ち上がったのが発端となり、全国に米商人への値下げ要求や打ちこわしが広がった民衆運動です。21世紀に入るとひとつの歴史的事件となり、女たちが押しかけた米倉が修復・整備されました。
しんきろうロードをさらに北へと歩いて行くと、ゆっくり夕日が沈んでいきます。海面に映る陽があかね色の道をつくり、波が寄せるたびにキラキラと揺れています。道沿いには公園や神社もあり、散歩道として飽きることがありません。恋人同士が寄り添える?ベンチも設置されていました。これって、夕日が美しい駅として知られる愛媛の下灘駅にもありましたよ。
しんきろうロードを2キロほど歩いて、日もとっぷり暮れた頃、目的の家持の歌碑に着きました。堤防のすぐ内側の緑地に建てられています。
越の海の 信濃の浜を 行き暮らし 長き春日も 忘れて思へや
信濃の浜がどこかについては諸説あり、約30キロ西の射水市の奈呉の浦大橋にもこの歌の歌碑があります。歌には明示されていませんが、家持が「忘れて思えや(忘れることがあるだろうか)」とうたっているのは、奈良の都に残してきた妻・坂上大嬢のことだと言われています。単身で国司として赴任し、大和とは全く違う越中の海の景色を楽しみつつも、妻のことが頭から離れない若き家持。彼が「行き暮らし」た浜として、夕暮れのしんきろうロードはぴったり合うような気もしました。

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