印南野の万葉の森

香具山と 耳成山と 闘(あ)ひし時 立ちて見に来し 印南国原  中大兄皇子

香具山と耳成山が争った時、(出雲の神が仲裁のため)見に来たという印南国原だよ、ここは。万葉集巻一、大和三山の妻争いをうたった長歌の反歌です。播磨国風土記では、出雲の阿菩大神が仲裁にきたが、争いが収まったため、印南野の地に鎮座したとされています。
中大兄皇子、のちの天智天皇がいつこの地に来たかは分かりませんが、少し大和を離れた場所で、「神代より‥妻を争うらしき」と、自分と大海人皇子の恋争いを嘆じたのでしょうか。
Google マップで加古川と明石の間の航空写真を見ると、数え切れないほどのため池があります。古代に台地だった印南野を灌漑し、豊かな農地に変えた苦労の跡です。その中にある稲美中央公園には、万葉の森と名付けられた小さな庭園があります。

名ぐはしき 稲見の海の 沖つ波 千重に隠れぬ 大和島根は  柿本人麻呂

名も美しい印南の海の沖に立つ波、それが何重にも立つものだから、大和の峰々は隠れてしまって見えないよ。瀬戸内海を西に航海する人麻呂が、ふるさと大和を恋しく思う気持ちを、非情な波への恨みで表現しています。ここでは「稲見」とありますが、稲美と書かれたり、印南になったり、表記は一定しません。ただ万葉集には、印南で詠まれた、もしくは印南を詠んだ歌が30首もあるそうです。
万葉の森の庭園には池が作られ、松が生えた島もあります。説明板によると、池は印南の海を、島は淡路島を表しているそうです。縮景式庭園といわれても今ひとつピンときませんが、水面には木々が映り、心が和らぐ光景ではあります。
万葉の森は春日大社にあるような万葉植物園になっていて、万葉集にちなんだ草花が植えられ、関係する万葉歌の説明板ご添えられています。これは尾花(ススキ)かと思うとそうではなくて、ススキの下に生えるオモヒグサでした。

道の辺の 尾花が下の 思ひ草 今更々に 何か思はむ

道端のススキの根元に生えた思い草よ、いまさらに何を思い悩もうか。思っているのはあなたのことだけです。「今さらさら」の響きがきっぱりしていていいですね。思い草はナンバンキセルの別名とされ、初秋に可憐な紫の花をつけるそうです。
池のほとりに、もうひとつ万葉歌碑がありました。

家にして 我れは恋ひむな 印南野の 浅茅が上に 照りし月夜を  作者不詳

家に帰ったら、私は恋しく思い出すことだろう。印南野のチガヤの上を照らしていた月を。旅をうたった万葉歌はつらい、わびしい気持ちを詠むことが多いのですが、この歌は異色です。それほど月が美しかったのか、それとも印南野が旅人の心をつかんだのでしょうか。

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