玉出の「だいがく」

25日は西成区玉出、生根神社の夏祭りでした。境内には高さ20メートルの「だいがく」が奉納されていました。かつて大阪の夏祭りでは、各地で「だいがく」が天を突き、赤い提灯の群れが勇壮に回転していたといいます。生根神社の近くの公園では、男女それぞれの「だいがく」が担がれ、音頭と「アレワイナー、コレワイナー」との囃子に乗って右へ左へと動き回り、喝采を浴びていました。1972年に作られた「だいがく保存会」が、復活を目指して担げるものを作ったそうです。
昨年、南座で夏祭浪花鑑を見たとき、修羅場の背景にかわいい「だいがく」が動いているのを見つけ、なんだか和んでしまいました。西成・木津で生まれ育った国学者折口信夫は、「だいがくの研究」を夏祭浪花鑑の場面から書き起こしています。約90年前の文章ですが、このとき既に「今では悉皆泯(ほろ)て了うて居る」とあり、明治とともに姿を消していったことがわかります。この小論で折口は、「だいがく」の構造や傘の意味、囃子の言葉など、多岐にわたって考察を加えています。そして、姿を消した理由として、「電信の針金が引かれ」たことを挙げ、揃いの浴衣や喧嘩沙汰も消えてしまったことを惜しんでいます。


青森の各地に残るねぶた祭りも、電柱との住み分けに苦心しているようです。五所川原では、23メートルもある「立佞武多(たちねぶた)」を復活するため、無電柱化を進めてコースを確保したそうです。日本に電灯がつくようになってから110年余、電柱によって失われたものの復活を考える時ではないでしょうか。


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